世界に誇る日本のマンガの原画、精微なプリント技術で新たな芸術作品「マンガアート」

集英社とエプソンがコラボレーション、日本のマンガに秘められたアートとしての魅力を引き出す

日本のマンガは、子供向けが大多数を占める海外作品とは異なる独自の進化を遂げています。小説をも凌駕する練り込まれたストーリーはもとより、緻密に描き込まれたクオリティーの高い絵は、海外のファンをも惹きつける魅力を放っています。

目の肥えた日本の読者に寄り添い、これまで日本のマンガを世界に誇るコンテンツへと育て上げてきたのが、「週刊少年ジャンプ」などを発行する集英社です。数々のヒット作品を世に送り出してきた同社は、現在、日本のマンガのファンさえも気付いていない潜在価値を掘り起こし、魅力的なアート作品へと昇華させる新たなビジネスの創出に挑んでいます。

エプソン販売株式会社(以下エプソン)は、技術協力・制作パートナーとして同社の取り組みに参画。高品質な大判用紙に、圧倒的なディテール表現で原画の魅力を再現するプリント技術を提供し、絵画のように高品質で新たな芸術作品「マンガアート」の実現を支援しています。集英社とエプソンのコラボレーションがマンガとアートの分野にもたらすインパクトを、プロジェクトの責任者である集英社 デジタル事業部 次長の岡本正史さんとエプソンの担当者に聞きました。

SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE 「Real Color Collection」より。©︎尾田栄一郎/集英社
<SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE 「Real Color Collection」より。©︎尾田栄一郎/集英社>

デジタル作画が進む一方、作品の持つ魅力を十分に届けられないジレンマと原画を保存していく課題

集英社 デジタル事業部 次長 岡本正史さん
<集英社 デジタル事業部 次長 岡本正史さん>

近年、マンガ家が描く原画のほとんどが、最初からデジタルで描かれるようになりました。かつてのようなインクにまみれながらペンで手描きする原画は、ほんの一部の作品に残るだけになっています。デジタル作画は、創作活動を効率的にする以外にも様々なメリットをもたらします。そのひとつが、隅々まで細部を描き込むことができるようになり、マンガ自体のクオリティーが格段に高まることです。デジタル作画が一般的になって以降、マンガという範疇を越えた、多くの人を魅了する可能性を秘めた作品と原画が多く生み出されるようになりました。ところが、そんなハイクオリティーな原画の魅力は、これまでマンガファンの目に届くことはありませんでした。

作家の描き込んだ原画データを日常的に見る岡本さんは、「目の前にある原画の魅力を多くの人に伝えることができていない現状が、とても残念でした。例えば、坂本眞一先生の作品『イノサン』は、衣装の細かな模様や、髪の毛の繊細な動きなどがフルデジタルで緻密に描かれています。まさしく、アート作品と呼ぶにふさわしいものです」と語っています。さらに「最近では、スマートフォンなどで、デジタル化したマンガのコンテンツを直接読むことができるようになりました。しかし、小さな画面に映し出す絵では、原画の持つ魅力や迫力をほとんど伝えることができません。拡大すれば、細部の描き込みを知ることができるのですが、そのディテールが生み出す絵全体の魅力や迫力を伝えることができないのです。出版社内の一部の人だけが感じているこの感動を、私たちは、より多くの人に伝える義務があるのではと常々感じていました」と話します。

ただし、フルデジタルで原画が描かれている『イノサン』のような作品は、まだ恵まれた方なのかもしれません。過去に紙にインクで描かれた原画は耐久性に乏しく、マンガ史を彩る単なる資料以上の価値があるものであっても劣化が進んでしまっています。
「1970年代以前の原画は低品質の原稿用紙に描かれていることも多く、また作家の高齢化が進む中で失われてしまったものも少なくないと思われます。また、1980年以降の原画も問題を抱えています。その頃から染料系インクでカラーの絵が盛んに描かれるようになったのですが、画材が光に弱く、退色が進み、連載当時の色が失われてしまった例が多く見られます。一刻も早く、原画が朽ちることなく保存できる仕組みを作る必要がありました」(岡本さん)

原画をアート作品に変える、共に汗を流す誠実なパートナーを求めて

こうした問題意識と義務感に突き動かされた岡本さんは、まず『イノサン』の魅力を伝えるデジタル画集を作る企画を考えました。単にデジタル原画を集めた本を作るのではなく、それ自体がアート作品として評価されるような画集を作ろうという志の高い企画でした。ただし、原画データをそのまま電子書籍に貼り付けただけでは、それをアート作品に昇華させることはできません。そこで、アート作品に見合ったプリント技術を求めて声を掛けたのがエプソンでした。

「『イノサン』の原画が持つ凄まじいまでの魅力や迫力を伝えるためには、これまでにないほど高品質なプリントを可能にする技術を持つパートナーが必要だと思いました。ただし、前例のない目的に向けて誠実に協力してくれる企業、しかも高度なプリント技術を私たちの思い通りにあつらえる技術力を持つ企業は多くはありません。そこで、まずは社内でプリント業務を行うラボ課で使用させていただいているプリンターのメーカーであるエプソンに相談しようと考えました」(岡本さん)

作家自身も初めて目にして唸った、デジタル原画プリントの魅力と迫力

こうして、集英社とエプソンの3年越しのコラボレーションが始まりました。
両社のコラボレーションは、当初は、単純にデジタル原画を高品質プリントすることを想定して始めました。ところが、「お互いのやりたいこと、できることがだんだん分かってくるにつれて、『デジタル画集のなかで読者に見てもらうだけではなくて、実際にギャラリーで展示できると面白いですね』という話になってきました。ちょうどその頃、『イノサン』のミュージカルが宮本亜門さんの演出で上演されることが決まっており、それと連動して展示してみたらどうかとなったのです。それを思いついてから展示すべき時期までは3カ月しかなかったのですが・・・」(岡本さん)

ここでも、エプソンは岡本さんの期待に応えることができました。2019年11月にはエプソンスクエア丸の内・エプサイトギャラリーにて、坂本眞一 アートプリント展「イノサン『パリ/革命の筆触』」を開催。11色のインクセット「UltraChrome PRO12」を採用した高画質大判プリンター「SC-P9550」で繊細な絵を表現した、大判プリントやB2サイズの大型本を展示しました。また、ミュージカル会場となった東京・有楽町のヒューリックホール東京の会場内でも、「SC-20050X」でキャンバス生地に出力した大型シャッターサインを掲示しました。

「多くの方々にご来場いただき、SNSを含めたくさんの賛辞をいただいた展示になりました。『壁全面を絵で埋めたい』『巨大なマンガの本を作りたい』といった、おそらくエプソンがこれまで取り組んだことがなかったような要求を、たった3カ月で形にしてくれて本当にありがたく感じました。坂本先生には、それまで描いた本人さえ見たことがなかった世界が具現化されていることに、とても驚き、喜んでいただきました。作家さんは、液晶タブレットの画面の上で繊細な絵を描くので、実は、自分の作品の大きく繊細な絵の全体像を見たことがなかったのです」(岡本さん)

作家自身も初めて目にして唸った、デジタル原画プリントの魅力と迫力

かつて心躍る思いで読んだマンガが、新たな感動を呼ぶアート作品として蘇る

集英社とエプソンは、『イノサン』の原画のギャラリー展示を通じて、マンガのデジタル原画に秘められたアート作品としての価値を確信しました。
これまでにも、日本には、有名なマンガのカラーの絵を原寸大でプリントし、額装して販売する複製原画というジャンルの商品がありました。ただし、複製原画はマンガファン向けのグッズという範疇からなかなか抜け出せず、高付加価値化が難しい面もありました。そこで、複製原画という既存商品の印象を拭い去り、これまでにない新たな価値を持つ商品であることを訴求するために、マンガアートという新たなジャンルを示す言葉を当てて訴求することにしました。

ただし、アート作品として販売する以上、その価値を世界中の多くの人たちに認めてもらえるようにするためのコンセプトと仕組みは必要です。そこで、岡本さんたちは、マンガの原画をミュージアムクオリティーでプリントし、作家と集英社が出来をチェックして納得できるものだけを数量限定のエディション作品として販売。さらにはブロックチェーン技術を活用した登録証・来歴管理によって価値を担保することにしました。

妥協を許さず、エプソンが共創で取り組む価値あるコトづくり

エプソン販売株式会社 商業機器MD部 部長 藤本剛士
<エプソン販売株式会社 商業機器MD部 部長 藤本剛士>

集英社とのコラボレーションは、エプソンにとっても、近未来の新ビジネスを切り拓く取り組みでした。エプソンは、今回のコラボレーションを、単なるお客様とサプライヤーの関係とは捉えていません。「これまでエプソンでは、プリンターやインクのような消耗品など、モノの販売を中心にビジネスを展開してきました。これからは、モノ売りに加え、お客様にとっての価値を提供するコトづくりも追求していきたいと考えています。今回のコラボレーションでは、私たちがモノづくりで培ってきた大判紙への高精細でリアルな色再現などのプリント技術と知見を生かし、コンテンツビジネスのプロフェッショナルである集英社のコトづくりを支えます。世界中のマンガファンに満足いただけるリアルなマンガアートを共に作り上げ、価値あるコトづくりに取り組む端緒を拓きたいと考えています」とエプソン販売 商業機器MD部 部長の藤本剛士は語っています。

そして、新たなビジネスを創出するに足る技術や開発リソースを積極投入しています。出力用プリンターには、滑らかな階調表現と広範な色再現領域を実現するエプソンの全色水性顔料の大判インクジェットプリンターの10色機「SC-P7050G/ SC-P5050G」を利用。A1サイズの作品にはベルベット調ファインアート紙を、A2サイズには「Velvet Fine Art Paper」を使用しています。いずれも、素材がコットン100%であり、ディテールの再現性が高く上質な質感が得られ、長期にわたる保存・保管に適した高級紙です。エプソン販売 神宮拓矢は、「全色顔料のため耐光性や耐水性が高く、さらにはCMYKだけでなく中間色、またオレンジ、グリーンのインクも搭載することで、より繊細な色を再現できます。アート作品の出力に耐え得る技術です」と言います。

エプソン販売株式会社 神宮拓矢
<エプソン販売株式会社 神宮拓矢>

約1万点のカラー原画をアート作品に変える、科学的アプローチに基づいたカラーコントロール技術

ただし、『イノサン』の原画のマンガアート化を通じて経験を積んだエプソンですが、集英社がデータベースに蓄積する約1万点ものカラー原画を対象にしたサービスの基盤を作るのには、また別の課題を克服する必要がありました。

エプソン販売株式会社 中山滋雅
<エプソン販売株式会社 中山滋雅>

エプソン販売 中山滋雅は、「一般に、プリンターで求める色を出力するためには、一度プリントしたものを目で見て確認し、画像処理ソフトなどでデータ上の色を調整して合わせ込む必要があります。こうした試行錯誤による調整は、ある色を調整したら別の色が崩れるといったことの繰り返しで、極めて手間の掛かる作業です。膨大な数の原画データを基にしてサービス提供することを考えれば、手作業で色を調整したのでは時間がいくらあっても足りません。そこで、カメラでアナログの原画を撮影する際の条件などを加味しながら、色を数値化し、科学的アプローチに基づいて正確な色を再現する手法の確立を目指すことにしました」。

これは、技術的にはかなり高度なチャレンジだと言えます。「エプソンはプリント技術では豊富な実績がありますから、一見してきれいなサンプルを作るのは簡単なのです。しかし、厳密に原画の色合いを再現するのはそれほど簡単ではありません。日々、改良を続ける毎日です」(藤本)と、エプソンはアート作品としてのクオリティーを妥協なく、徹底的に追求していく覚悟を持っています。コトづくりに関わっている以上、マンガアートを求めるファンに届ける価値の創出にも責務を感じているからです。岡本さんは、「エプソンのインクジェットプリンターの色の再現領域は、従来の一般的な出版印刷物よりも広く、クオリティー向上の潜在能力は確実にプリンターの方が高いはずです。それを引き出す技術と知見を両社で蓄積し、科学的に使いこなすことができるようになれば、先行者である私たちの競争力は圧倒的に高まるとみています」とエプソンの力に大きな期待を寄せています。

テストプリントの様子
<テストプリントの様子>

進化したプリント技術によって、集英社とエプソンが拓くマンガアートの世界

集英社は、2021年3月1日、マンガアートの世界販売事業「SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE」のサービスを正式に開始しました。専用サイト上で、尾田栄一郎先生の『ONE PIECE』、池田理代子先生の『ベルサイユのばら』、坂本眞一先生の『イノサン』『イノサンRougeルージュ』の3作家の作品を、国内外に向けて販売。
出足は極めて好調で、「受付開始から1週間で1000件を超える申込みがありました。サイトへのアクセスの約40%が海外からであり、申込みの3分の1がアメリカ、フランス、シンガポールなど海外からのものです。この調子で進めば、全作品が完売になるとみています」と岡本さんは語っています。

集英社では、マンガアートによって、今後10年間で100億円規模の市場を作る目標を掲げているそうです。日本のアート市場の規模は350億円であり、目標が実現すれば、アートビジネス全体に大きなインパクトをもたらすことでしょう。

楽しみなのはエプソンも同様です。「プリント技術に関しては、腕に覚えがあった当社ですが、コンテンツ作りのプロとアート作品を共に作る取り組みをさせていただいて、技術的にも新たな気付きがたくさんありました。プリント技術の新たな世界が拓いた思いです。得たことを生かして技術をさらに磨き、SHUEISHA MANGA-ART HERITAGEに貢献しつつ、他の分野のコトづくりにも積極的にチャレンジしていきたいと考えています」(藤本)

SHUEISHA MANGA-ART HERITAGEの行方だけでなく、集英社とエプソンそれぞれの今後の取り組みから目が離せません。

取材実施日:2021年3月