なぜエプソンは、DXで急速に未来を作り始めたのか?
セイコーエプソン株式会社(以下エプソン)がスタートアップ企業との共創を通じて、社会課題に向き合う取り組みは世界に広がりをみせています。その過程としてエプソンは、Runway Innovation Hub (以下Runway, 現 Foundry 415 Innovation Hub) との協業を開始しました。Runwayはサンフランシスコに拠点を置き、スタートアップへのコンサルティングを行う企業で、グローバル企業と起業家たちの成功をサポートしています。Runwayと共に、どのようにシリコンバレーのスタートアップ企業と協業し、イノベーションを起こしていくのか。オンラインインタビューを通して、その秘密に迫りました。
■タイラー・スタンキ 様
Runway Innovation Hub ディレクター
■クリスチャン・リッチ 様
Runway Innovation Hub マネージャー
■ジャック・リーガー
Epson America Inc. デジタルイノベーション ディレクター
■小原 秋寿
セイコーエプソン株式会社 P事業戦略推進部
エプソンの進む道―ビジネスモデルの変革
私たちの日常や働き方が、これほどまで明確に実感のある形で変化したことがかつてあったでしょうか。新型コロナウイルスの世界的な流行によって、暮らし方はこの1年で完全に変わってしまったのです。
エプソンがこれまで培ってきたクラウドサービス「Epson Connect」は、自宅からオフィス、店舗などの多岐にわたる場所で強固なデジタルプラットフォームとして新しい日常に浸透してきています。教育やビジネス、ヘルスケア、防災、観光といった多様な分野に対して、課題解決の手段を提供し始めたのです。
その過程において、様々な企業とつながることで、エプソンが持っている技術やサービスを課題解決に生かし、今までになかったユニークなサービスを提供していくことができると考えたのです。こうしたオープンな仕組みにグローバルでの取り組み、製品の製造・販売を主とする事業から、課題解決型への変革をもたらします。
パートナー企業とのつながりにより「カスタマーコークリエーション(顧客と共に進める共創)」を目指す
エプソンのDXを推進している小原は、エプソンが課題解決型の企業へと飛躍を遂げる最前線に立っています。その中で重視するのが世界中の企業との協業であり、特に新しい技術やアイディアが活発に生まれるシリコンバレーに着目しています。
「Epson Connectを通じて、1500万台もの製品がIoT化されています。これらのデバイスを革新的な技術を持つパートナーとつなぎ、活用していただくことで、新しいワークフローやコミュニケーションを作り出していこうとしています。スタートアップ企業とのコラボレーションを通じて、エプソンが持つ成熟したビジネスや製造技術を生かした『共創』の実現を目指しています。」(小原)
また日本の推進チームとともにアメリカでDXの実現に向け取り組んでいるのが、Epson America Inc.のジャック・リーガーです。
「世界中の先進的な企業は、製品を売るのではなく、ソリューションを売っています。例えばサブスクリプションサービスのような形で、継続的に顧客と関係を築いています。お客様がエプソンの製品によるエコシステムの中でどんなニーズを持っているのか、どんなソリューションが必要だと思っているのか。これらを把握するために顧客を知り、ニーズをつかみ、エプソンがパートナーと共にビジネスを成長する経験をしていかなければなりません。」(リーガー)
エプソンはこれまでもDXを加速させるべく、新しいサービスを提供し、その可能性を探ってきました。その一つが、遠隔教育支援です。Epson Connectを活用し、生徒の家庭にあるプリンターと学習塾にあるプリンターをクラウドで繋ぎ、コロナ禍で外出が難しい環境でも学びを止めない仕組みを作りだしました。
より多くの可能性を探り、顧客のニーズに直接的に応える新たな製品を提供するためには、アイディアが生まれるフィールドを世界に広げていく必要があります。そこで着目したのがシリコンバレーであり、スタートアップ企業とつながるハブとしての役割を担ってくれるRunwayとの協業でした。
Runwayとの協業により最先端のスタートアップとつながる
Runwayは2013年の創業以来、40社を超えるグローバル企業に対して、新しい領域や可能性へのイノベーションを実現するサポートを行っています。戦略パートナーとなり得る気鋭のスタートアップ企業を見つけ、投資や買収、新しいビジネスモデルの導入を実現してきました。一方、コンサルティングビジネスにおいて、Runwayは20種類以上の業種にわたる駆け出しのスタートアップ企業を育成。25億ドルをベンチャーキャピタルから集め、53社が買収や株式公開を行うなど、これまで350社以上のスタートアップを成功に導いてきました。
Runwayでコーポレートイノベーションを担当するディレクター、タイラー・スタンキさんは、エプソンとのパートナーシップについて、次のように語ります。
「Runwayは今回の協業によって、Epson Connectを介して何百万ものデバイスをつなぐというエプソンの目標達成に取り組むことに、非常にわくわくしています。我々はコロナ禍において、新しいスタートアップ企業とのコラボレーションの方法を共に作り出しています。グローバルな視点とイノベーションマインドが、エプソンDXチームに醸成されていることにも感謝しています。Runwayは引き続き、エプソンと強固なパートナーシップを築きながら、スタートアップ業界との関係を強化し、新しい技術革新を模索していきます。(スタンキさん)
また、Runwayは受賞歴のあるアナリスト、研究者、技術スカウトによってチームを編成しており、新しい市場の分析、その領域における最適なスタートアップの紹介、投資、買収を通じたビジネスモデルの実現によってエプソンのような会社をサポートしています。
「エプソンに対する深い知識を元に、我々のチームは、技術的なギャップを埋め、新規市場参入を実現する付加価値を提供できるスタートアップ企業を選定します。我々はこれまでもいくつかの日本企業の成功をお手伝いしてきました。Runwayは、スタートアップとエプソンの橋渡しができる、非常にユニークな位置づけにあります。」(スタンキさん)
エプソンが持つ豊かな資源や経験を、スタートアップ企業の技術革新と融合させることによって、素早く、顧客が求めるクリエイティブなソリューションをプロトタイプすることができます。スタートアップ企業にとって、エプソンが持つ膨大な顧客と生産能力は非常に魅力的です。同時に、エプソンは新しい技術とスピードというメリットをスタートアップから享受することが可能になるのです。
「エプソンはとても有名で高く評価されている、信頼あるグローバルブランドです。スタートアップ企業は、エプソンのグローバルな販売網とマーケティング網を通じて、市場販売までの時間を短縮させることができます。とくにハードウェアスタートアップにとっては、エプソンが持つ製造や材料調達に関する深い専門性が非常に有益です。」(リッチさん)
では、RunwayとエプソンのDXチームが取り組むゴールは、どこにあるのでしょうか。
「我々の最初のゴールは、エプソンが革新的なソリューションによって顧客が喜ぶような、新しいサービスを提供する領域に進出することです。同時に、スタートアップ界隈において、エプソンが信頼できるパートナーであるというブランドを確立することにも取り組んでいます」(リッチさん)
Avatourとのコラボレーションによる新たなソリューションの実現
エプソンとRunwayとのコラボレーションは2020年11月からスタートしました。この取り組みの中で、360度VRのビデオ会議を実現する技術を持つスタートアップ企業「Avatour」との協業が、今最もゴールに近い事例と言えます。Runwayでコラボレーションを主導するクリスチャン・リッチは、この取り組みがなぜ求められているのかについて語りました。
「COVID-19のロックダウンが昨年の春に始まって以来、オフィスで働く人々が家から仕事をするようになりました。その結果、どのようにしてリモートワークを充実させるかに注目が集まりました。XR(仮想と現実を混ぜた体験)、VR(仮想現実)、AR(拡張現実)には、オンラインミーティングを進化させる能力があります。これらの技術により、強力なオンラインコラボレーションの実現が可能となります。日本とカリフォルニアを結ぶ我々のプロジェクトも、こうしたツールなしには、実現できないのです。」(リッチさん)
没入感ある体験は、これまでのビデオ会議とは全く異なります。Avatourの技術を使うことで、世界中のどこにいる人々であっても、現実の場所に、リアルタイムに「デジタル転送」されるのです。これにより、360度見渡せる空間の中で、人々やその場所とコミュニケーションをとることができます。この技術は施設の見学や、実地検査、専門家による修理の際に、移動の手間を省きます。
「Avatourとのプロジェクトを進めるにあたり、エプソンの決断の速さに驚きました。エプソンはプロジェクター技術とスマートグラスの業界においてトップ企業の一つです。いずれもバーチャル空間を再現するAvatourの技術と高い親和性があり、このコラボレーションは、非常に相性が良いと思いました。」(リッチさん)
エプソンの小原は、初めてのDXパートナーシップについて、次のように期待を寄せています。
「Avatourとのコラボレーションは、新しい次元のリモ−トワークを可能にします。ビデオ会議はすでに人々の生活の一部となりました。Avatourとの取り組みは、人々がコンピュータの前でつながるだけでなく、リモートでの環境に入り込み、現場への出張を最小限に留めながら、ビジネスを円滑に進めていくソリューションになるでしょう。
これは、エプソンの多角的なビジネスとスタートアップ企業との協業の素晴らしい事例となりました。我々はスマートグラスやプロジェクターなどの技術を持っており、協業によってAvatourの技術的な実装面の問題を解決していきます。」(小原)
エプソンとAvatourは、東京と福島県会津をデジタル空間でつなぎ、会津の魅力的な文化を東京に紹介する実験を進めています。コラボレーションを通じて新しいソリューションを作り出す、最初の事例となりました。
シリコンバレーならではのスピーディーなプロトタイプの完成
文化がまったく違う日本と米国・シリコンバレーを、リモートでつなぎながら協業を行う。それだけでも非常に困難な取り組みです。これを約6ヶ月という非常に短い期間で、その成果を出そうとしています。
スタンキさんはこんな作戦を立てていました。
「イノベーションは非常に時間がかかるプロセスです。変化は一夜では起きないのです。我々のパートナーシップの基礎を築くため、まずはエプソンDXのイノベーション成熟度を具体的に評価するところから始めました。その結果から、ニーズに合うパートナーシップを組みました。特に1年目は、市場の特定、新技術の理解、起業家とのミーティングに注力しました。2年目に入り、スタートアップとの実験を通じて着実な結果を得ることと、より一層イノベーションマインド(失敗と実験から学ぶ)を持つことを目指しています。」(スタンキさん)
小原も、巨大な企業がスタートアップのスピードに追いつくことが難しい中で、新しいオープンイノベーションのプロセスの確立により、R&Dの段階から素早くプロトタイプを作り出せた点を評価しています。
「2020年11月にAvatourを紹介され、オンラインでデモを体験しました。非常に感銘を受けまして、すぐにAvatourの技術とエプソンの製品と連携させよう、という話になりました。東京と会津を結ぶ実証実験を経て、今後はスマートシティのプロジェクトに向けて、距離を超えた取り組みを深めています。」(小原)
リッチさんは、素早くプロトタイプを作る過程を、最も重視していました。
「内部で小さな実験をして、成功しなくても動かしてみる。失敗はイノベーションにとって必要なプロセスであり、小さなステップを重ねていくことが重要です。そうすることで、製品や技術が成熟していくだけでなく、コラボレーションの相手同士が『正しいチーム』として機能するようになっていきます。」(リッチさん)
変革は拡がっていく
また、この取り組みは、エプソン社内へも拡がりを見せ始めています。
「Runwayとはとても難しい仕事をしていると思います。我々の既存のデバイスと、シリコンバレーの自由な発想で生まれた技術とを、簡単には結合できません。さらに実現には言葉や文化の壁など、更なる困難もあります。
また、2020年はウェブサイトやSNSでの情報発信もない中で、DXによるオープンイノベーションプロジェクトをシリコンバレーで広めなければならず、これも難しさの理由の一つでした。しかし、オープンな取り組みが集まるウェブサイトもでき、SNS発信を通じて、スタートアップ企業とのコミュニケーションが非常に取りやすくなりました。
社内でも取り組みが拡がり、DXの拡大と浸透を通じた、今後の様々なスタートアップ企業とのコラボレーションを推進していきます。」(小原)
Runwayとの共創、この中から生まれたスタートアップ企業との取り組みは、エプソンのビジネスモデルや対外コミュニケーションの進化に、良い影響を与え始めています。
スピーディーに実証を行う仕組みを得たエプソンは、今後も国内外の幅広い企業とのコラボレーションを通じて、モノ(製品)からコト(サービス)へ、社会課題解決のためのソリューションを模索し続けていきます。
取材実施日:2021年5月
記載の組織名・所属・肩書き・取材内容などは、すべてインタビュー時点のものです